僕の中には小さい頃の僕も全部はいっている
- 真澄 鯉沼
- 5月28日
- 読了時間: 3分
先日、「ヨシタケシンスケ展かもしれない たっぷり増量タイプ」に行ってきました!
1年半ほど前にも「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を見に出かけたのですが、中身が増量して帰ってくるとのことで気になって気になって…
いざ行ってみると、前回と同じ内容の展示物もありましたが、同じものも楽しい、増量した部分はもっと楽しい、というただただ楽しい日になりました(^^)
今回気になったのがこれです。

これは、体験型展示「つり輪の森」の木の裏にいろんな言葉が書かれており、その中でハッとしたものです。
自分に置き換えた時に、今の私・小さい頃の私、ってそもそもなんだろう、と考え始めると止まらなくなるのですが、個人的に成長すればするほど抱いていた疑問に繋がる気がしました。
「私って子どもの頃から本当に成長しているんだろうか?」
赤ちゃんから考えれば、身長は伸びたし、歩けるようになったし喋れるようになったし、間違いなく成長はしていると思います(それはそう)。
ですが身長が止まったあたりから、自分の中でいつまで経っても自分が変わらない感覚がありました。成長が終わった感。
子どもの頃に抱いていた「大人」になっている気がしない。
大人になったら自然と大人っぽい考え方をすると思っていたけど、小学生の頃も今も考えていることが変わらない気がする。
なんなら久しぶりに友達に会うと「本当にずっと変わらないよね」と言われる。
ですが、この「僕の中には小さい頃の僕も全部はいっている」を見て、「そりゃ私はずっと私だもんなぁ」となんだかしっくりきました。
自然と大人っぽい考え方をしているのかもしれない(いや、していないのかもしれない)けど、小さい頃の私も全部はいっている私が、ある日突然「私大人になった!」とは思わないかもしれない。
子どもの頃から大切にしているもの・ことは、多少形を変えていたとしてもやっぱり大切にしているかもしれない。
そう考えたら、きっと小さい頃の私もはいったまま成長しているし、今の私も悪くないか、まあいいか、と思えました(^^)
子どもたちに置き換えると…
今目の前の子どもたちも、それぞれが大きく成って振り返ったら「小さい頃の僕・私」になるけど、ずっとその人の中に居続けているんだなぁと思うと、すごくワクワクしました。
これが好き、あれが好き、と目をキラキラさせている子どもたちの「好き」はどんな形で続いていくのかな。
こんなこと頑張ったんだ、と話してくれる子どもたちの「頑張り」や「達成感」がずっとその子の気持ちを支えてくれたらいいな。
楽しい、嬉しい、悔しい、悲しい、いろんな経験が全部糧になればいいなぁと思いながら、一緒にいろんな経験が出来たらいいなぁと思いながら、今日も明日も明後日も子どもたちに会えるのが楽しみです♪
池之上
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