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あのときどうしたらよかったんだろう?

  • 4月20日
  • 読了時間: 5分

年度の切り替わりでバタバタとしているうちに、あっという間に新学期が始まりました。


気のせいかもしれませんが、いつにも増して子どもたちがそわそわしている気がする春です。今もみんな新しいクラスや先生・環境に慣れることに奮闘しています。


そんな子どもたちを笑顔で出迎えて支えなければと思いながら、私自身もそわそわしてしまっています。



少しでも私にできることを…というタイミングで、私がよく立ち帰る場所として頼りにしている本『怒りたくて怒ってるわけちゃうのになぁ ー子どもも大人もしんどくない子育てー』『大人になってもできないことだらけです』の著者きしもとたかひろさんのお話をオンラインで聞けるタイミングがあったので参加してみました。



正解があるわけではない中で「こんな考え方もあるよ」「こんな例があるよ」と新たな視点を投げかけてもらえる素敵な時間でした。


全てを共有できたらいいのですが難しいので、特に気になった点をざっくりとお伝えさせていただけたらと思います。


大人の思い

子どもたちと関わるときにはどうしても大人側の「こんな子になってほしいな」という思いがあります。


その大人の思いは悪いものではなくて、その子が生きていくときにより楽しく会ってほしいという願いです。

そのときの考え方として以下のような順を追っていく方法があるというお話でした。


1.どんな子になってほしい?

2.どんな経験をしてほしい?

3.どんなふうに過ごしてほしい?

4.どんな状態でいてほしい?



「どんな子になってほしい?」と考えた時に出てきた内容も、経験・過ごし方・状態と考えていくと、より具体化されていきます。


思い描いていた「こんな子」が深堀りされ、大人から見たその子ではなくその子自身が感じる自分が楽しく生きていくために、という視点に移行しやすい考え方だなと感じました。


その子がその子のままいられる状態

「どんな状態でいてほしい?」からつながる話なのですが、例えば「自分の思いを表現できる子になってほしい」という思いを抱いたときに、以下のどちらの状態を願うでしょうか?


・話したいと思ったことを話せる安心感がある状態

・言わなきゃ怒られると怯えている状態


きっと多くの人は前者を願うかと思います。



前者はその子主体で動いている状態ですが、

後者は「怒る人」がいてそれに応じて動いている状態です。


これをきしもとさんは「矢印がその子の上に立っているかどうか」という言葉で表現されていました。



その状態でいるきっかけや理由がその子であること、その子の上に矢印が立っていること、これもひとつ「その子のままいられる状態」なのかな、と思いました。



くもとそらの社名である「ソノママ」に込められている、みんながそのままの自分で過ごせるようにという「そのまま」とは一体何なのか、というのを最近ちょうどお話しする機会がありました。


結論は大雑把にまとめると「難しい」だったのですが…


「その子がその子のままいられる状態」と「そのままの自分」が同じなのかはわかりませんが、これもヒントにしながら自分の中で考えを深めていきたいなと思っています。


主体性とは何か

次の4つの言葉と「主体性」という言葉はどうしても関連付けて考えやすいけれど本当にそうなのか、というお話でした。


・無関心

・受動的

・積極的

・能動的

どうしても下に行けば行くほど「主体的に参加している」と思われがちです。


ですが、実際はどの段階にいる場合も、その子が自分でそうしたいと願っているのであればそれは主体性があるのではないか、という視点をもらいました。



興味のないことに無理に関心を持つのが主体性ではないし、自分が引っ張っていくことよりも誰かの意見に「楽しそう!」とのるほうが好きな子もいて、その参加の仕方も主体的だということ。


一方で、能動的にみんなを引っ張っている子が実は「誰もいないから仕方なく…」と動いているのであれば、それを主体性として評価するのは少しズレてしまうのではないか、ということ。



主体性というのは外部から見えづらいものなんだな、と感じました。

だからこそくもとそらでは子どもたちが自分の思いに沿って主体的に行動しているのかなというのは丁寧に見ていきたいな、とも思っています。


その子にとって一番いいことは

「その子のために」が本当にその子のためになっているのか、というのはよく悩みます。

まず「その子のために」と動く考え方自体がおこがましいのではないか、と思う事すらあります。それでも動く、もはやエゴです。


いろんな人が「その子のために」と考えるとき、それぞれいろんな視点を持っていてどれも間違っているわけではない、というお話でした。



その子にとって一番いいことは「安心できているか」「しんどくないか」ということ。

しかし「いつ」を見据えて考えるかで「その子にとって一番いいこと」は変わっていきます。


例えば宿題をするとき。

「やりたくない」「つらい」と言っていたらどうしますか?


「今この瞬間」を考えたら「じゃあやるのやめよう!」と言うのがいいのかもしれない。


「明日提出するとき」を考えたら「そのままやらないと怒られるかも」という視点が出てくる。


「学期や学年単位」で考えたら「やらなかった分が溜まりに溜まってあとでその子に降りかかるかも」という視点が出てくる。



どれも間違いではないのですが、考える内容によってはぶつかることもあるかもしれません。


今この瞬間ももちろん大事なので、今しんどすぎない方法、あとでつらくならない方法、安心して過ごせる方法、をいろんな人がいろんな視点で一緒に考えていくことが大切なんだと伝えてもらいました。


あのときどうしたらよかったんだろう?

タイトルにもなっているこの言葉は、今までも今もこれからも何回でも思い浮かべる言葉だろうなと思います。


そのときの自分がした言動はそのときの自分の最善で、あとから振り返ってもその瞬間を変えられるわけではないのですが、これからの自分に活かせる何かを見つけていきたいです。


今の自分にできることがより良い何かになるように、視点も手段もたくさん持って日々を過ごせる人でありたいなと思いました。




池之上

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