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“無駄”を楽しむゆとり

この間DARSを買ったら、いつもと違う刻印に出会いました。


確率はそんな低くないようで、他にも「Happy」「Love」と書かれたものや、クローバーやニコちゃんマークの絵柄に出会ったことがあります。


「いいこと12個」と謳っているDARSですが、これに出会うと+1個いいことをもらった気分になります。


ところで…

普段チョコレートを食べるとき、表面に何が書かれているか気にしますか?


私はよく見ている時もあれば、何も見ずにパクッと食べてしまう時もあります。



これはチョコレートに限ったことではなく、コアラのマーチとかたべっ子どうぶつとか、絵柄を楽しめるお菓子全般に言えます。


子どもの頃は、この絵柄一つで楽しんだり、時には取り合って喧嘩したりした記憶がありますが、今は流石に喧嘩はしません。



でも絵柄に気分が救われることはあります。

写真をとった日も、「あ、私は今日ラッキーな日なんだ」と勝手に決めて楽しみました(笑)


無駄を楽しむ余裕

先日「YELLOW MONDAY」で紹介した、夏生さえりさんの本の中に“無駄なものごとは心によい”という言葉を見つけました。


さえりさんに言わせれば、“無駄を認めるのは、心に何かを許す隙間がある証拠だと思うのだ。”そうです。



いろんな「無駄」の例が書いてありました。

無駄な雑貨の買い物

深夜の無駄話

変わった食材(なくては困らないという意味では無駄)

資料に添えるかわいいメモ などなど


お金がもったいない、時間がもったいない、気持ちに余裕がない、そんな切羽詰まっている時には、確かにどれも避けるかもしれません。



お菓子に書いてある絵柄をチェックする、というのも一種の無駄だなと思います。

何が書いてあっても味は変わらないし…


でも「それを見て楽しむ余裕があるときは、心にゆとりがあるんだな」と思うと、できるだけ見るようにしたいな、と思います。



“無駄を認めると、人は急にイキイキする”らしい

ディズニーやスターバックスなど、世の中でうまくいっているサービス業は、この「無駄」を大切にしているそうです。


無駄を認めるからそこ、普段の仕事+αでどうやったら喜んでもらえるかな?と考えるゆとりができるとのことでした。



DARSの刻印も、全部同じにする方がきっと手間も減りますし、ある意味無駄です。

でもこれがあるおかげで、ちょっと元気をもらえる人がいます。



子どもたちと関わる中では、何事も「無駄」とは思っていませんが、必要性だけで言ったら無駄なことはしているかもしれません。


でもその無駄こそが、子どもたちにとって学びとなり、思い出になるかもしれないと思うと、すごく貴重だなと思います。



話があちこちに飛んでしまって、うまくまとまらないのですが…

無駄を全力で楽しめるくもとそらでありたいと思いました^^



池之上

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