先週までの3週間、休校期間により子どもたちと朝から長い時間を一緒に過ごしていました。
毎日長い時間を共にしていると、放課後だけでは経験しきれない、いろんな出来事が起こります。
この期間での子どもの変化は凄まじかったですし、そこに立ち会えていることが嬉しいです。
ドタバタと過ぎ去った3週間を振り返ると、私がスタッフとして子どもたちに何かしてあげていることよりも、子どもたちに助けられたり支えられたりしていることの方が多かったような気がします。
支援している、という一方向だけの言葉では表せないという話をしていた時に自分の口から出た、「一緒に生活をしているだけ」という言葉に、後から色々考えさせられました。
先生も人間
休校期間中、この言葉にハッとさせられた出来事が2つありました。
①「ごめん、先生も人間だからイライラすることはあるよ」
これ以上はキャパオーバーになる…!って思ったときに、自分で発しておきながら、「何言っているんだろう」と驚いた言葉です…
それを聞いた子どもも「え、そうなの?」みたいな驚いた顔でポカンとこちらを見ていました(笑)
もちろん言ったその時は猛烈に反省したのですが、今思えば伝えずに勝手にイライラを溜めるよりは、健康的かもしれないなんて思っています。
先生と子ども、以前に、人と人との関わりを築いているんだなと改めて感じました。
②「いいんじゃない?先生も人間なんだし」
これは私の要領の悪さが発揮されてしまい、バタバタしちゃってごめんと伝えたときに子どもから言われた言葉です。
なんて大人な考え方…と思うと同時に、先生というキャラクターではなく、私という個人と関わってくれているんだな、と感じさせられました。
「先生」と呼ばれるたびに、どこかしっかりしなければいけないという思いが頭をよぎるのですが、自分はまだまだ未熟です。
というより、完璧なんてないのでこれからもずっと未熟だろうし、やるべきことは完璧になることではなくて、「先生」と呼ばれても恥のないように頑張り続けることだと思っています。
共同生活、のようなもの
「一緒に生活をしているだけ」という言葉は、先生としてよりも、私個人としてしか関われないからこそ感じたものなのかなと思いました。
子どもたちからみた私は、何かしてくれる人ではなく、遊んでいる中に自分のことをやけに見ている大人がいるな…くらいの感覚なのかもしれません(笑)
でもそれでもいいのかなと今は思っています。
くもとそらでの生活は、子どもたちの中にたまに大人がいる共同生活、のようなもの。
人と人との関わり方で、
自分はどうすればより心地よい関係が築けるのか
関わりたい人にどうアプローチするのか
関わりたくない人とどう距離を取るのか
子どもたちは自然と色々学んでいます。
困ったときに「こんな方法もあるよ」と手を差し伸べられる距離にいれたらいいなと思っています^^
(休校期間はみんなが自宅から持参する様々なものにもワクワクさせられました!)
今日からまた関われる時間が減りますが、放課後の楽しみになるような居場所づくりに励みます。
今度は春休みに長時間一緒に過ごせることが、今から楽しみです♪
池之上
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