「人に優しくするために必要なものってなんだろう」
最近、私の中でずっと考えていることの一つです。
時間的なゆとりとか精神的な余裕とか、そういう「切羽詰まっていないとき」って優しさが生まれやすいです。
だから、人に優しくできる日とそうでない日ってあるなぁと思っています。
ですが、そういう気持ちの波に関することじゃなくて、もっと優しさの根本的な部分をずっと考えています。
「許せる」範囲
色々考える中で、優しくすることと許すことが同義とは思っていませんが、結構似たものがあるのかなと思いました。
相手がしたことが許せる範囲内であれば優しく接せるし、その範囲から飛び出していれば優しくできない、のような感じ。
例えばですが、
自分が時間に厳しく動いている人ほど、人の遅刻が気になる
逆に自分がルーズな人は、人が遅れそうでも「了解!」の一言で済ませられる
みたいなイメージがあります。
そして私が最近考えている「優しさ」は、相手に後者の声かけができることです。
自分への厳しさ≒こだわり
私が「優しさ」を考える理由は、ここにあると思っています。
別に自分に厳しいだけであれば、人に迷惑もかけませんし、悪いことではないです。
でもそれが一種の「こだわり」となり、相手にも求めるようになると、途端に「優しさ」がない人になります。
要は、「人は人、自分は自分」と思えなくなったらまずいな、ってことです。
人に優しくなりたいから、まずは自分に甘くなる
現時点での私の考えはここに行き着いています(笑)
自分への甘さが、人に優しくなれる材料になるなら、こだわりなんてどんどん捨てた方がいいなと。
似たようなことは、人に言われたこともあるのです。
自覚がありながらも、これをやっと実感できたのが今日なのですが…。
もともと、そんな過剰に自分に厳しくはないですが、自分が優しくなれない部分を分析していこうって思いました。
思った当日にバーっと書き出したので、いつも以上につたない文章ではありますが、これはこれで、今日はよしとします(笑)
池之上
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