本を読んでいると「よく噛み砕いで、考察して、自分の中に落とし込みたい!」と思う言葉にたくさん出逢います。
私にとって、その言葉を中心に考えたことをここに書くことは一種の「自分に落とし込む作業」だったりします。
本を読んでいる途中で止まって考える、ということができなくて、落とし込みそびれている言葉がたくさんあるんだろうなぁとモヤモヤしつつ、新しい本に手をつけている日々です(笑)
そんな中でも「これは!」と思いすかさずメモした言葉がありました。
“問題はある。解決はしない。でも大丈夫”
(『リエゾン–こどものこころ診療所– 凸凹のためのおとなのこころがまえ』より)
子どもたちが困っているときに、「手伝おう」「介入しよう」と思うと、どうにかして「解決してあげたい」と思いますが、解決できない問題やトラブルも多いのが現実。
そんなときに、子どもたちの「どうにもできない」という思いを「ほんと、どうにもならないね」と共有することも大切だそうです。
著者は、今の時代の大人も子どもも「問題は解決しないといけない病」にかかっているような気がする、と書いています。
そんな中で出てきたのが上記の言葉です。
「問題はある。解決しない。でも大丈夫」という感覚を持つことは結構大切だと思う、とのことでした。
私自身、日々子どもたちと関わる中で、すぐに解決策を探しがちなので意識したいなぁと思いましたが、多分この時はまだ、言葉を知っただけでした。
そんな中で…
先日、まさにこの言葉を体現してくれた子どもたちがいて、初めて理解に一歩近づいた気がしました。
最近よく、A君が新聞紙で作ってくれたボールで一緒にサッカーをしています。
その日も最初は2人で、全然ルールも気にせず楽しんでいました。
どっちが何点決めたかも数えず、勝ち負けも気にせず、ハンドをしても「え〜そんなのあり?」と言いながら笑い合うような適当さです(笑)
そんな中「俺も入れて!」と言いに来てくれたB君。2人で大歓迎してサッカーを続行しました。
入ってきたB君は、ルールに忠実で、勝つことの大切さも優先順位が高めです。
遊び方が違う2人、どうなるかなと思っていたら、A君がハンドをした際にB君が「ハンドしたら1回休むんだよ」と声をかけました。
私は咄嗟に『そんなルールを今回は決めてないよ』と伝えましたが、いい解決策も思い当たらず、そのまま見守りました。
A君「そんなルールないよ。」
B君「でもサッカーはハンドダメだから休みだよ。」
A君「じゃあ別にいいよ。俺が休んだらサッカーできないけどね。これ俺のボールだから。」
B君「俺は別にやめてもいいよ。サッカー好きじゃないし。」
A君「じゃあ終わりでいいじゃん。」
…見守っている間に2人のサッカーは終わっていました。
この後、お互いにギクシャクすることなどはなく、B君は遊びをパソコンゲームに変更、A君は再び私を誘ってサッカーを開始。
ルールについては何も解決していません。
でも2人とも自分の気持ちを相手に伝え、自分が好きな遊びを選び、落ち着いて過ごしています。
問題が解決しなくても大丈夫、ってこういうことなのかなと思いました。
さらにすごいなと思ったのは、翌日にはまた一緒にサッカーをしていたことです。
A君とスタッフだけの時は、ルールなしのサッカーをしていましたが、また「入れて!」と言いにきたB君。
この日はスタッフが何も声をかけずとも2人で「ハンドはなしにしようか」「何点決めたら勝ちにする?」と事前に話もしていました。
いつも学ばせてもらっていますが、改めて子どもたちってすごいな、と感じる出来事でした。
問題を解決する、とは?
問題はある。解決はしない。でも大丈夫、を体感したとともに、そもそもこれは解決していないのか?と考えました。
その日のその場のルールについては解決していません。
でも2人の気持ちが落ち着いたという意味では、終着点は見つかりました。
翌日にはルールの話を自然にできていました。
立派に解決しているな、とも思います。
そもそもルールで言い合うこと自体、問題と捉えなくてもいいのかもしれない、など考え始めると哲学的な問いがいくつも頭に浮かびますが…
問題を問題と捉えるのも自分次第、解決策は一つじゃない、解決しなくても大丈夫。
2人のおかげでいろんなことを知った2日間でした。
子どもたちが来所するたびに『おかえり!』と声をかけながら、心の中で、今日も学ばせてください、と頭を下げている毎日です。
池之上
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