写真を撮ることが好きです。
別に立派なカメラである必要はなくて、持っているスマホで撮っています。
写真には常に何かしらの感情がこもっていると思うのです。
綺麗だな・不思議だな・かわいいな・かっこいいな・好きだな、などの写しているものに対する感情や、忘れたくないな・誰かに見せたいな、などのその瞬間に対する感情、などなど…
自分で撮った写真は、見返すたびにその時の感情が思い出されます。
私のカメラフォルダの中には、何枚か子どもたちが撮ってくれた写真もあります。
もう1ヶ月近く前の話になってしまいましたが、子どもたちと水族館へ出かけたとき、「カメラ貸して」とお願いしてくれた子が2人いました。
一人は水族館の中で。
もう一人は帰りの車の中で。
その時の写真がとても素敵だったので紹介させてください(^^)
水族館の中で
私が一緒に回った子は水槽を見つけると、まず最初に懸命に上の方を見ていました。
何を見ているんだろう、と思ったので私も一緒に目を向けてみたのですがその時はわからず。
私がスマホを取り出すと「貸して」とのことだったので、しばらく預けてみました。
返ってきたスマホに入っていた写真がこちらです。
これをみて初めて、上の方に注目していた理由がわかりました。
空気中と水中とで生まれる光の屈折によってできた綺麗な色合いや、水面に泡が登っていく様子を真剣に観察していたのでした。
こうやってみると確かに、日常で見かけることの少ない景色で、今でもこの写真を見るとその子のキラキラした表情が浮かびます。
また、魚の写真もありましたが、私には撮れない写真だなぁと思いました。
私は水槽の全体像を眺めることが多いのですが、その子は1匹ずつ順に集中してみていました。
それが写真にも表れていて、人が撮った写真を見ると、その人が見ている世界に少し近づくことができるんだなと嬉しくなりました。
帰りの車の中で
水族館を満喫して、たくさんおしゃべりしながら帰る車内で、お米が実りかけているのを見つけた子が「金の草が広がってる!写真撮りたい!」と教えてくれました。
もうその表現から好きだなと思ったのですが、写真を撮るときに随分と拡大して撮っていました。
画面いっぱいに広がる稲穂。確かに金色が目一杯広がっていました。
スマホのカメラは肉眼で見た時よりも、やたら全てが小さく見えるので、違うなぁと思ったのでしょうか。
その意図は聞いていませんが、これがその子が見た世界なのかな、と楽しくなりました。
その流れで他にも写真を撮ってくれました。
「川の写真」
「電柱の写真」
「街の写真」
全部「〇〇の写真」と呼びながら見せてくれました。
これを撮る!と決めた被写体にぐっと近づいたこれらの写真は、自分じゃ撮れないだろうな、と思っていて今でもお気に入りです。
事業所に戻ってからも何度も「お母さんに見せてね」と言っていました。
「見せたい!」という思いが詰まっていることを知るとさらにとっても愛おしい。
これらの写真も、見るたびに撮っていた時の楽しそうな表情が思い出されます。
子どもたちの目線で
日頃関わっている中で、何よりも「子どもたちのことを一番に考える」ことを大切にしていますが、一人一人の目線に立つことって思っている以上に難しいことだなと思います。
見えている景色すら人によってこんなにも違くて、その違いを知ることがこんなにも素敵で。
さらにそれぞれが感じていることの違いは計り知れません。
一人一人の世界を少しでも感じられたら、どれだけ素敵なんだろう。
人のことを100%わかる、なんてことはできませんが、少しでもわかろうとし続けたいなと思っています。
池之上
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