top of page

「叱る」を手放す

自分に余裕がないと、些細なことでイライラして、すぐ怒ってしまう…


子どもたちと過ごすときにそうなりたくなくて「私は余裕を持つことが一番の仕事かもしれない」と思い始めているこの頃です(笑)



そんなことを考えていた矢先、『<叱る依存>がとまらない』という本に出会いました。

題名からかなり強い言葉が使われていますし、絵も強烈ですし、人に勧めると「私がよく叱っているってこと…?」みたいな誤解を招きそうなので、誰にもおすすめできません(笑)


ですが、中身はそんな怖いものでも冷たいものでもなくて、「人はなぜ叱るのか」を感情ではなく、叱る側・叱られる側それぞれの脳内メカニズムに基づいた科学的な観点から考えています。


「叱る」ことに限らず、人が物事を学ぶ過程などを知ることができるので、気になる方はお手に取ってもらえたらいいなと思っています。

(これは結局おすすめしているような気がしますが……紹介です^^)


そもそも「叱る」とは?

著者の村中直人さんは本書の中で、「叱る」ことを “他者を変えようとする手段” であるとした上で、他の言葉(指導する、説明する、注意する、指示する、など)との違いを、辞書を引いて明確にしています。


私も調べてみると「叱る」は “相手の非をとがめ、きびしく注意する。”と出てきました(goo辞書より)。


攻撃的なニュアンスが含まれることが多いようです。


村中直人さんはここに「叱る」の本質的な特徴があるのではないかと考え、この本における「叱る」について下記のように定義しています。


“言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為”


「叱る」の効果

「叱ることは絶対にいけません」という本ではありません。


私には詳しく説明する文章力がないのですが“「叱る」の効果と限界を考える”というがあり、「叱る」にも重要な役割があることが示されています。

それが “目の前で起きているよくない行動を、止める、変える” ことです。



「叱る」には時間をかけずに行動を変化させる力があります。


そのため、その子の命に危険がある、他の誰かに危害が及びそう、というときの危機介入には、叱ることで効果がある、とのことです。



くもとそらでも子どもたちに「先生は命に関わることだけは怒る」と宣言しており、それが「叱る」が役割を果たすタイミングなんだなと思いながら読んでいました。



一方で、効果がない場面も書かれていました。


それが “叱られた原因について意識を向け、学んでほしいと願う” ときだそうです。



叱られると大抵、言われた通りの行動に変えたり、「ごめんなさい」と謝ったりします。


すると叱った側は「わかってくれた」と思いがちですが、これは叱られた側にとっては回避行動でしかなく、叱られるとネガティブな感情ばかりに意識がいき、なぜそうなったのか考える方に意識が向かないそうです。


叱る側にも叱られる側にもメリットがないので効果がない、とのことでした。

(厳密には叱る側は処罰欲求が満たされる、など効果とは違うメリットがあるそうです。)


私はこれを手放していきたいなぁと思っています。


「叱る」を手放す、とは?

今回のブログの題名にしたこの言葉は、私の中スーッと入ってきてくれました。


「叱る」を禁止することは、一見有効そうに見えますが、たくさん叱ってしまう自分を責めると「叱る自分を叱る」ことになると書いてあって、なるほど、と思いました。


「叱る」ことの効果と限界を理解して徐々に手放していく発想で、成功イメージは「気がついたらあまり叱らなくなっていた」と感じることだそうです。



手放すコツは色々書かれていたのですが、一番意識したいなと思ったのは「前さばき」です。


「前さばき」と「後さばき」

「叱る」は問題となる行動が起こった後にする行為ですが(=後さばき)、前さばきは “問題とされる行動が起きる前の、その子どもの状況や周囲とのかかわりを考え、対処すること” です。


「前さばき」だけが大切、というわけではなく、それぞれの役割があって両方重要ですが、余裕がない時ほど「前さばき」を忘れて「後さばき」ばかりになってしまうことが多いなと感じています。



何事もまずは予測して、可能であればその子に予告して、お互いのために見通しを持って取り組めたらいいなと思っています。


また、その子の段階に応じてですが、自分で予測する力も身につけてもらえるよう、一緒に予測する、というのもしていきたいなと思いました。


最近の私は…

この本を読む少し前にちょうど「最近そういえば怒ること減ったなぁ」「ゆとりができたのかなぁ」と思っていました。


この本を読んでから、今まさに「叱る」を手放している途中段階のような気がしています。


気を抜けば<叱る依存>にはまっていくかもしれない、その可能性を忘れずに日々子どもたちと向き合っていけたらと思います。


(「依存」という言葉の理由を何一つ書けていないことにここで気づきました。ざっっっくり説明すると、上記でちょこっと触れた「処罰感情が満たされる」などを脳が「報酬」として受け取るので、人間の脳は叱ると報酬を得られるという不思議な構造になっているそうです。他にもいっぱいありますが書くのは諦めます!)


「誰かを叱る可能性のあるすべての人のための本」と著者が言っているのですが、本当にその通りだと思うし、なんなら叱られる可能性のある人も読んでほしい本でした。




池之上

bottom of page