自分の卒論読み返してみようかな。
先日突然頭に浮かんだので、子どもたちの学びについて深く考えた原点、初心(?)にかえってみようと思って探してみました。
まず古いパソコンを開いたら、全データが消去されていて驚き(笑)
大学一年生から四年生までの全レポートを取っておいた記憶があったのですが、重すぎて消した記憶がぼんやり浮かびました。
…過去の私、謎の衝動に駆られて消したんだろうなぁ。
ですが、USBを見てみると、ゼミに関するデータだけきれいに残っていました!
また読み返す気がすると思って残しておいたんだと思います。過去の私は、自分の行動パターンをよくわかっていると感心させられました(笑)
2,3年前の自分が書いた文章を読んで、文章の拙さにちょっと恥ずかしくなりました(誤字であろう謎のかぎかっこも見つけました…)が、面白かったです。
と、ここまでが下書きに入れられたままストップしていました…(笑)
10月、自分でうまく時間が作れず、一つもブログを上げられないまま、意図せず文章を温めて終わってしまいました。
この文章の存在はすっかり忘れていたのですが、1回考えると頭に残っているようで、考えていることはどんどん続いています。
卒論を読んで思ったのは「私ってこんなことしたかったんだなぁ」ということ。
題材は、フィンランド教育とUDL(学びのユニバーサルデザイン)を用いた個に応じた指導について。
当時は小学校教諭として自分が実現したい個に応じた指導について考えていましたが、自分で定義した“個に応じた指導”は、くもとそらでも自分はこうありたいと思うものでした。
ピックアップしようとしたら長くなりやら難しくなるやら…断念しました(笑)
簡単にまとめると、学びを登山に例えています(佐藤学さんの「階段型」「登山型」カリキュラムの考え方を引用しています)。
私自身は子どもたちの「旅(学び)の案内人」のような役割を果たし、私自身が山(単元/くもとそらでいえば学習内容)の魅力などを理解して、多様な登山道を準備する。
危険な森や沼地などで、登山者(子どもたち)が困惑しないように助言し、一人一人の選んだ学習方法に合わせた援助をしていく。
というものです。
読めば読むほど、こんなこと難しそうとは思うのですが、それでもやりたかったこと。
学校の教室という場ではできなくとも、くもとそらで少しでも近い形で子どもたちを支援(学習に限らず)していけたらと思っています。
最近の私
最近の私はインプットが楽しいです。
元から好きな読書も、読むものが小説だけでなく、学びにつながるものも増えてきました。
卒論を「楽しい」と言っていたら周りに気味が悪いと言われたくらいには、学ぶことに抵抗感がない私ですが、なぜ「勉強嫌い」とならなかったのか、自分でもよくわかりません。
でも、「勉強嫌い」という人の多くは、学校で強いられる勉強法が苦手とか、理解できないからやりたくないとか、内容に興味が持てないとか、理由がどこかにあると思います。
興味のあることの学ぶことの早さを思えば、子どもたちは「学ぶこと」そのものは嫌いじゃないのです。
長くなってしまいましたが、みんなに少しでも、自分に合った学ぶ内容や方法を知ってもらえるような接し方をしたいと思っています^^
池之上
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