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くもとそらとたいようと

先日、学生さん集結!でボランティアの学生さんたちの笑顔を「太陽」と表したのですが、それを読んだスタッフが素敵な意味づけをしてくれました。



“くも”と“そら”に足りないものって“たいよう”なんだよね



気づいてて書いたの?と聞かれたのですが、残念ながら書いた私自身は、ただなんとなく使った言葉でした…(笑)



たいよう(=外部から来てくださる方々)の力がうちには必要なのかもしれない、という話をしていただいたので、自分なりにもっと考えてみました。


それぞれの役割

そもそも「くもとそら」は、くも(=子どもたち)はいろんな形があるし日によって変わるけれど、どんなくもでもそら(=スタッフ)は変わらず受け止める、のような意味合いが込められています。


(私の勝手な解釈も入っているかもしれませんが…)



そしたら、たいようってどんな役割を果たしているんだろうと考えたとき、たいようはくもを照らしてくれる存在なのかなと感じました。



雨や曇りの日でも、雲の上には空と太陽が存在します。

そして、いつも変わらずどんと構えている空に対して、太陽は光を与えてくれています。


子どもたちは、毎日いるスタッフと関わるのももちろんですが「〇〇先生は今日いる?いつ来るの?」といつも楽しみにしています。


来ている日には「今日〇〇先生いる!やった!遊ぼ!」といつもよりルンルン。光のような存在です。



こう考えると、たいようの力は偉大ですし、くもとそらには欠かせないですね。


もらった写真から

私自身は事業所内でお留守番だったのですが、公園に遊びにいっていたスタッフから、春らしい写真をいただきました。

たいように照らされて楽しそうなくもたち。

たいようを含めて全部そのまま受け止めるそら。



そんな在り方ができる事業所もいいなと思っています^^



池之上


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