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「人のことは、わからない」

最近、新しい本を買うのを一旦ストップして、今まで読んできた本を読み返しています。


私にとってはいつものことで(むしろたくさん買っていた時期が特殊だった…)、同じ本を繰り返し読むのが好きです。



最初に読んだとき、2回目、3回目…と同じものを読んでいても、その時々の自分の状況とか心境とか、いろんな要素で感じることが変わるのが楽しいと思っています。


(あとは、読んですぐ忘れていく人だから毎回楽しいと言うのもあります(笑))



ここ数日、夏生さえりさんのエッセイ『揺れる心の真ん中で』を読んでいて、はっとさせられた言葉がありました。

(さえりさん、よく出てくるものの、本の題名とか書かずじまいなことが多いと気づきました。いろんなところに素敵な言葉が転がっています^^)


人のことは、わからない

中学生の頃の著者は、人ととの関わりで疲れないために、「どうして〜するのだろう?」と周囲の人の行動の理由を“分析(と呼ぶなにか)”しては、「きっとこうだ」と考えていたそうです。


相手の言動の理由がわかれば、ストレスは軽減され、自分を守ることもできた、と。



著者が、「わたしは、人のことがわかる」と得意げになってきた頃、母にそのことを告げると、こう返ってきたと書かれていました。



“人のことがわかるだなんて、傲慢じゃない?”



この言葉に衝撃を受けた著者は、大学で心理学を専攻し、ただ一つ「人のことは、わからない」ということを学んだそうです。


わからないから、わかろうとする

「人のことは、わからない」


当たり前と言われればそれまでですが、「わかった気になる」危険性は常に意識していたいと感じさせられました。



どれだけ一緒にいても、人のことはわからないからこそ、いつでも相手のことをもっと知ろうと努力する。


さえりさんは最後に


(わかろうとすることについて)

“その熱心さ、その欲求を長く長く持ち続けていくこと。わたしはそういうものを、愛と呼びたい。”


と結んでいます。


子どもたちへの“愛”

改めて、「人もことは、わからない」ことを意識して、最初に浮かんだのは子どもたちでした。



毎日接している中で、だんだんと子どもたちのことを知っていっています。


名前や学校、学年から始まり、好きなことや嫌いなこと、今夢中なこと、好きな食べ物や、性格…



それでも、私が知っている(と思っている)好きな食べ物は実は5番目かもしれないし、好きなことはその日限りだったかもしれない。


今の行動はきっとこういう気持ちで…と思っても、聞いてみたら全然違うかもしれない。



わかったふりをして接するのは、簡単かもしれませんが、本当にその子のためにはならないし、私のためにもならないと思います。



「子どもたちのことを知りたい!わかりたい!」

そんな“愛”を、より意識して接していきたいと感じました!




池之上

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