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“ 先を生くひと”

28日間しかない2月ですが、なぜか珍しく「もう終わり?」という感覚がありません。

私にとっては最近の中で一番長い1ヶ月だったような気がします。



今月は、今まで以上にたくさんの方とお話しさせていただきました。

利用している子どもたちの保護者様やご見学に来てくださった方々、相談員さんや学校の先生方など…


くもとそらと関わってくださる方が増えていること、改めて嬉しいことだなぁと痛感しました。



お話ししている中で、ある保護者様から、くもとそらのスタッフは「(子どもからみて)先生というよりお友達みたいな」と言っていただいたことがありました。


この言葉を聞いて、オープン時にスタッフの呼ばれ方についてどうしようかと話をしたことを思い出しました。

『呼び方ってなんなん』は他のスタッフが呼び方について書いたブログで、今読み返しても初心にかえってハッとさせられるものがあります。)



保護者様とのお話は呼ばれ方のことではなく、その距離感がその子にとって居心地が良さそうだというお話でしたが、改めて「先生」について考えるきっかけをもらいました。



“先生”と呼ばれている今、私は子どもたちにとってどんな存在でありたいのか。


そんな中で出会った本が町田そのこさんの『あなたはここにいなくとも』です。


『あなたはここにいなくとも』

つい先日発売されたもので、発行日が2023年 2月20日と書いてあるのですが、なぜか発売日前日の19日に本屋さんで見かけて買いました(笑)


5編の短編からなる本です。

「小説を読みたい!」という単純な気持ちで買っただけで、ここから「先生」について考えていたことと繋がるとは全く思っていなかったのですし、学校も先生も出てきません。



でも5編の最後、人生のしまい支度をする一人のおばあちゃんのお話。題名は“先を生くひと”。

その中に出てくるいくつかの言葉が、私にはすごく刺さりました。


“先に生きてきたひとは、その生き様でいろんなことを教えてくれるんだ”

出会ったおばあちゃんのことを好きだと話す子の言葉です。


私自身は、まだ生まれて25年弱しか経っていない人間なので、子どもたちに示せるほどの生き様は持ち合わせていないなぁと思います。

でも、子どもたちが「大人になったら」って想像する時の“大人”の年齢には結構近い気がします。


私は最近、早く歳を重ねたいって考えるようになりました。

たぶん周りにいてくださる大人が(年齢がゆえだけではないですが)みんな楽しそうだからです。だから憧れているのです。


いろんな方の生き様、生きる過程を見させてもらっています。


だから私は、まだそこまでの生き様までは示せなくても、毎日の私を見て誰かに「大人って楽しそう」って思ってもらえる人になりたい、と思いました。


次は長いのですが…

お話の中に出てくる澪さんというおばあちゃんの言葉です。

「」の中の言葉はもちろん素敵で、これはむしろ私が受け取る側として読んで泣きました。


私自身がどうありたいかを考えたのは、四角で囲った部分からです。


日々、子どもたちは勝手に学んで勝手に育っていくので、「先生として教える」みたいな役割はないなと思っています。

そんな中で私がやりたいことはきっと、子どもたちの今を全力で受け止めることだと思います。



先日、何かの話の流れで子どもに「先生は〇〇くんのこと大好きなんだよ〜」と伝えたら「え?!そうなの?大好きなの?」と驚かれました。嬉しそうな笑顔で。


「もちろん!!!」と全力で肯定してこちらまで笑顔になりました。

子どもたちのどんな状況も温かく受け止められる人になりたいです。これはたぶん一つ目よりすでにかなり意識している部分ですが、子どもたちには思っているより伝わっていないことに気づきました。


“多分、わたしはこの言葉たちを、これから先何度も思い出すことになる。”

上の写真の少し後に続く言葉です。


以前、他のスタッフの方から、子どもに好かれようとする必要はない、という話をされたことを思い出しました。


具体的な言葉は忘れてしまったのですが、今好かれることよりも、ふとした時になんだか心に残っている人になれるようにしてみるというお話でした。



そのような存在が皆様にも一人二人いるのではないでしょうか。


私にもいます。関わっていた当時はそこまで好き!ではなかったけどふとした時に温かさを思い出す人や、熱い想いを語ってくれた人など、いろんな人がいます。


ふとした時に思い出す、心のお守りのような言葉もあります。



今関わっている子どもたちといつまで一緒に過ごせるんだろうと考えることがあります。

一生関わりたいと思っても、いつかそれぞれの理由で離れていく日が来るのかなと考えると寂しくなります。


何より、順当にいけば私の方が先に死んでしまうので、子どもたちの生涯を見届けることはできません。



関われる今、全力で子どもたち一人一人のことを考えて、欲を言えば何かのタイミングで思い出してもらえるような、お守りのような出来事を、子どもたちの中に作ってあげられる存在になりたい。


それが今のところ私が一番目指している先生像かもしれません。


私は果たして「先生」なのか

文章を書きながら、「こうなりたい」という思いはあるけど呼ばれ方に対する思いはそんなにないなぁと思いました。


“呼ばれ方”って言葉も不思議で、最初に引用させていただいた『呼び方ってなんなん』にあるように、呼び方は呼ぶ側の自由です。


私はくもとそらで「ひな先生」と書かれた名札を下げていますが、子どもたちは「先生」以外の呼び方をチョイスすることもあります。

(チョコレートが好きって話をしただけで「じゃあ今度からチョコちゃんって呼ぼうかな」と言われた時は思わず笑いました(笑))


それでも基本的には「先生!」と呼んでくれているので、なりたい自分を意識しながらこれからも「先生」って呼んでもらえる人であろうと改めて思いました。



“先を生くひと”を呼んですぐ、「絶対ブログに残しておこう」と思いました。

本を読むと、全然関係ないように見える話でも、日々の生活に結びついて考えを巡らせられるので、読書が好きでよかったなぁと思います。


子どもたちのことを想いながらダーッと文章を書いたので、少し涙が出そうになりました(笑)



あと1ヶ月少し経つと、また新1年生が入ってきてくれます。

大好きな子どもたちが増えること、楽しみです^^




池之上

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